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新潟地方裁判所 昭和25年(行)51号 判決

原告 竹田泰次

被告 高田税務署長

訴訟代理人 横山茂晴 外五名

主文

被告が原告に対してした昭和二十四年度の所得金額を金二十五万七千円と更正する処分のうち、金二十万三百六十八円を超える部分は、これを取消す。

原告のその余の請求は棄却する。

訴訟費用は、原告と被告との平等負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、被告が原告に対してした昭和二十四年度の所得金額を金二十五万七千円と更正する処分のうち、金十四万七千百五十一円を超える部分は、これを取り消す。訴訟費用は、被告の負担とする。との判決を求め、その請求の原因として、

一、原告は、肩書住所において、時計眼鏡類の販売修理業を営んでいるものであるが、昭和二十五年一月三十一日被告に対し昭和二十四年度の所得金額を金四万七千十九円と確定申告したところ、被告は、昭和二十五年二月二十五日これを金四十万円と更正し、即日その旨を通知してきた。そこで、原告は、右更正処分を不服として、同年三月二十三日被告を経由して関東信越国税局長に対し審査の請求をしたところ、被告はその後同年七月二十八日付をもつて右所得金額を金二十五万七千円と訂正し、同年八月六日原告にその旨通知があつた。

二、しかしながら、被告の右処分中金十四万七千百五十一円を超える部分は、次に述べるような理由によつて違法である。すなわち、原告は、前記のとおり昭和二十四年度の所得金額を金四万七千九百円と確定申告したのであるが、その後経理士をして帳簿を再検討させた結果、前記金額は項目の入れ違い、誤算等に基く過少な金額であつて、同年度の正確な所得金額は、別紙第一及び第二表中各「原告主張」欄において詳述しているとおりの経緯により、金十四万七千百五十一円であることが判明した。もつとも、右所得金額の算定の基礎とした帳簿のほとんどすべてのものには、昭和二十四年一月一日から同年三月三十一日までの取引が記帳されていないけれども、かような場合には同帳簿に漏れなく記載されている同年四月一日から同年十二月三十一日までの取引の実額を基礎として月割計算によつて年間の金額を算出する方法をとつた。従つて右のような方法によつて算出された所得金額は最も正確な金額であるというべく、これを遥かに上廻る被告の前記更正所得金額はなんら合理性を有しないことは明らかである。よつて、被告が原告に昭和二十四年度の所得金額を金二十五万七千円と更正し、原告の右金額を課税標準とする所得税の納入義務を課した前記更正処分は、少くとも、右金十四万七千百五十一円を超える限度において違法であるといわなければならない。

三、しかして、原告は、前記のように決定期間内に関東信越国税局長に審査の請求をしたが、同局長は請求後三箇月を経過してもなんらの決定をしないので、行政事件訴訟特例法第二条但書の規定に基き、被告の前記更正処分中金十四万七千百五十一円を超える部分の取消を求めるため、本訴請求に及んだ。

〈立証 省略〉

被告指定代理人は、原告の請求を棄却するとの判決を求め、答弁として、

原告主張の一、三の各事実は認める。原告は、被告が原告の昭和二十四年度における所得金額を金二十五万七千円と更正した処分は、金十四万七千百五十一円を超える限度に於て違法であると主張するけれども、原告の同年度の所得金額は、同年度における総収入額金百二十二万二千八百二円から、右収入を得るために要した経費金九十五万七千八百九十八円を控除して得た金二十六万四千九百四円であり、右各金額の内訳は別紙第一「被告主張」欄記載のとおり、また右内訳中、争点となる項目についての金額算出の根拠は、別紙第二「被告主張」欄に記載のとおりである。従つて、被告が、原告の同年度における所得金額を前記金二十六万四千九百四円の範囲内である金二十五万七千円と更正した処分にはなんら違法はない。

〈立証 省略〉

理由

原告が昭和二十五年一月三十一日昭和二十四年度の所得金額を金四万七千十九円と確定申告したが、被告は昭和二十五年二月二十五日、これを金四十万円と更正し、即日その旨を原告に通知したので、原告は右更正処分を不服とし、同年三月二十三日被告を経由して関東信越国税局長に対し審査の請求をしたところ、被告は同年七月二十八日付をもつて右所得金額を金二十五万七千円と訂正し、同年八月六日原告にその旨通知したこと、関東信越国税局長は、原告の右審査請求に対し審査の請求があつた日から三箇月を経過してもなんら決定をしないことは、当事者間に争がない。

ところで、被告は、右更正所得金額金二十五万七千円は、別紙第一及び第二表中各「被告主張」欄記載のような経緯に基き、原告の昭和二十四年度における収入金額を金百二十二万二千八百二円、必要経費を金九十五万七千八百九十八円と算定し、右収入金額から必要経費を控除して得た同年度の所得金額金二十六万四千九百四円の範囲で決定したものであると主張し、これに対し、原告は、別紙第一及び第二表中各「原告主張」欄記載の理由により原告の昭和二十四年度における収入金額は金百十七万二千百七十六円、必要経費は金百二万五千二十五円であるから、同年度における所得金額は、金十四万七千百五十一円が正当であつて、被告の前記更正処分は右金十四万七千百五十一円を越える限度において違法であると主張するので、以下被告のした右所得金額更正処分の適否について判断する。

一、総収入額

被告は原告の昭和二十四年度における総収入額を算定するにあたり、収入の形態により、(一)年間商品((1) 時計及び附属品(2) 眼鏡)の売上高、(二)昭和二十四年十二月三十一日現在における商品((1) 時計及び附属品、(2) 眼鏡、(3) 時計修理材料)のたな卸及び(三)年間収入工賃の三項目につき、それぞれの金額を算出し、これを合計する方法をとつているので、総収入金額算定の当否を検討するには、右各項目別に考察するのを相当とする。

(一)、売上高

(1)、時計及び附属品

被告が原告の昭和二十四年度における時計及び附属品の売上高を売上原価(繰越たな卸高に年間仕入高を加算し、これから年末たな卸高を控除したもの。)に年間差益高(前記売上原価に年間平均差益率を乗じた金額。)を加算する方法によつて、金二十九万七千三百二十六円と算定していることは、その主張によつて明らかである。これに対し、被告は、まず右算出方法の当否を争い、かような算出方法は、昭和二十四年四月一日から同年十一月三十一日までにおける売上高の記帳(甲第一号証の一、二、第二号証の一、二、)がある以上不当であつて、右記帳に基き右期間の売上高の実績を求め、これを年額に換算(すなわち、九で除し、これを十二倍する。)する方法によるべき旨主張するので、まず、被告の採用した右算出方法の当否について考察する。所得金額の算定にあたり、その根拠とすべき帳簿が存在している場合には、その記帳が乱雑、不正確、虚偽等のために、それによりがたいと認められる特段の事由がない限り、これを基礎として、所定年度における取引の実額を算定すべきであると解するのを相当とする。

本件についてこれをみるのに、原告は昭和二十三年度の所得課税金額が過大であつたのに驚き、取引を記帳することによつて次年度の適正な課税を期待しようとして、昭和二十四年四月一日から前掲甲第一号証の一ないし四の帳簿に記帳を始めたのであるが、その後自己の記帳方法に不備のあることを知つて、同年十月一日以降帳簿を改め、前掲甲第二号証の一、二、の「金銭出納帳」と題する帳簿に記載するようになつた旨の原告本人の供述によつてもうかがわれるように、前掲甲第一号証の一、二、及び同第二号証の一、二はいずれもその記載が極めて粗雑であり、また、一日の取引収支の結果を一括して計上した程度のものが多いために、原告があえて虚偽の記載をしたかどうかの判断は暫くおくとしても、これにより取引の明細を確認することは困難である。しかも、課税所得額算定の基礎となる商品売上高は、当該課税年度内において発生した代金請求権の額によつてこれを確定すべきであり、従つて、代金請求権が右年度以前に発生したものであれば、たとえ当該課税年度中に現実の代金収入があつたとしても、これを売上高より控除すべきであり、逆に、右年度中に現実の代金収入がなかつたとしても、当該課税年度において代金請求権が発生したものである以上、その金額は売上高に加算すべきものと解せられる(債権発生主義または権利確定主義。)ところが前掲甲第一号の一、二、第二号証の一、二は、いずれも右の原則によることなく、売上高はすべて現実に代金の収入があつたときにはじめてこれを記帳し、前記控除または加算すべき金額を明らかにしていないために、右甲第一号証の二、第二号証の二をもつて昭和二十四年度における売上高を確定する資料とはなし難い。さらに、その記載内容の真否を吟味するため、試みに、原告の主張金額を基礎にして昭和二十四年度における時計及び附属品の差益率(売上高より売上原価を控除して得た額と右売上原価との比率。)を算出してみると、同年度の売上原価は金十八万八千六百七十七円(繰越たな卸高金十八万一千二百二十五円に仕入高金二十万八千三百五十一円を加算し、これより年末たな卸高金二十万八百九十九円を控除して算出される。)であるから、右年間差益率は二割三分四厘となり、また、これと同一方法により時計及び附属品のほかに眼鏡をも合わせた差益率を求めると、五割四分三厘となることは算数上明らかである。ところが、証人棒欣一(一、二回)小島潮要の各証言によると、原告の近隣同業者の時計及び附属品、眼鏡、雑貨を含めた差益率は、大山時計店七割九分一厘、小島時計店七割八分、早津時計店(ただし、法人。)五割五分であること、眼鏡の平均差益率は時計及び附属品の平均差益率よりも高く、約十割であること。右各品目の全在庫品中眼鏡の占める割合は、原告において四割二分、小島時計店において六分九厘(大山時計店、早津時計店においては明らかでない。)であることが認められる。従つて、原告の主張金額を基礎にして算出される前記差益率は、近隣同業者の同年度における差益率に比べて著しく低いことがうかがわれ、かかる事実からすれば、甲第一号証の一、二、第二号証の一、二、は、その記載内容の正確性が担保されているかどうかは疑わしいといわれなければならない(もつとも、原告本人訊問の結果(一、二回)によると、原告は戦時中営業を廃止し、終戦後営業を再開したために、前記各同業者に比較し、営業上不利な立場にあつたことはうかがいえないけれども、これをもつて右判断を左右しうるものではない)。以上、いずれの点からみても、前掲甲第一号証の二、第二号証の二は、いずれもこれをもつて原告の昭和二十四年度における売上高の実額を算定する資料となし難いことは明らかである。よつて、被告が原告の主張する算定方法によることなく、前記のような売上原価に、年間差益高を加算する方法によつて売上高を算定したことは、それ自体失当と認めるに足らないといわなければならない。

次に、被告の右算出方法による原告の昭和二十四年度における時計及び附属品の売上高の算定が果して適正になされているかどうかについて考察する。第一に、売上原価の算定をみるに、被告はこれを金十九万一千二百七円と算定しているが、後にその各項目につき認定するとおり、繰越たな卸高が金十九万七千七百四十五円、年間仕入高が金二十万二千七円、年末たな卸高が金二十万八百九十九円であるから、同年度の売上原価は、金十九万八千八百五十三円となること算数上明らかである。

第二に、時計及び附属品の右年間差益率については検討するのに、被告がこれを五割五分五厘と認定していることはその主張によつて明らかであるが、証人棒欣一の証言(一、二回)によると、昭和二十四年十二月三十一日現在の原告の時計及び附属品の差益率(現実の正札価格と仕入原価とを対照した。)は、腕時計三割八分八厘、提時計四割八分三厘、掛時計四割二分六厘、置時計三割九分二厘、目覚時計四割五分四厘、附属六割八分三厘であり、右各種品目の在庫割合を考慮して、その平均差益率を求めると、約四割五分が算出されたこと、仕入価格については、昭和二十四年四月一日現在と同年十二月三十一日現在では変化がなかつたものと認められ、同業者を調査した結果によつてもこれが確認されたこと、昭和二十三年から昭和二十四年にかけての経済情勢からみると、正札価格の自然的値下りの傾向があつたので、昭和二十四年一月一日現在では、同年四月一日に比べて約一分の差益率の増加が推定されたこと等の諸事情が認められる。従つて、昭和二十四年十二月三十一日現在の差益率は四割五分、同年一月一日現在の差益率は四割六分となるから、同年度の年間平均差益率は四割五分五厘と認めるのが相当である。被告は、前記のように、右年間平均差率を五割五分五厘と認定した根拠として、右諸事実に加えて、昭和二十四年四月一日現在と同年十二月三十一日現在とでは、正札価格において約二割の値下りがあつたという条件の存在を主張し、証人棒欣一の証言(一、二回)、原告本人訊問の結果(一、二回)並びに成立に争のない乙第一号証の五の記載によると、原告が被告に対し被告の右主張に添うような申出をした事実のあることは認められる。しかしながら、証人小島潮要の証言および右原告本人の供述(一、二回)によると、原告が右申出をした趣旨は、時計及び附属品の全部を通じて平均二割の値下りがあつたというのではなく、戦後時計及び附属品の新製品が市場に出廻り出すに従い、在庫の粗悪品については約二割の値下をせざるを得なかつたという趣旨であつたことが認められる。この認定事実に前記証人棒欣一の証言によつて認めた諸事実とを合せ考えると、右原告の申出をただちに採つて、同期間内に約二割の値下りがあつたとする被告の主張は、他にこれを認めるに足る証拠のない本件においては、たやすく肯認し得ないところである。従つて、被告が前記のごとく年間平均差益率を五割五分五厘と認めたことは、失当といわなければならない。

以上の次第であるから、原告の昭和二十四年度における時計及び附属品の売上高は、前記売上原価金十九万八千八百五十三円に、差益高金九万四百七十八円(右売上原価金十九万八千八百五十三円に対し四割五分五厘を乗じて得た金額。)を加えた金二十八万九千三百三十一円と認めるのが相当である。

(2)  眼鏡

被告が、原告の昭和二十四年四月一日から同年十二月三十一日までの眼鏡売上高を金二十三万四千二百十円と算出し、これを九で除し十二倍してその年間売上高を金三十一万二千二百八十円と算定したことは、その主張によつて明らかである。これに対し、原告は、右金二十三万四千二百十円は原告が関東信越国税局長に対し本件更正処分に対する審査の請求をするにあたり、その資料として提出した乙第一号証の二、三に記載された金額の合計額であるが、乙第一号証の二、三、は、前掲甲第一号証の二及び同第二号証の二に基いて作成されたものであるところ、当時原告は帳簿に関する知識が乏しく、項目の入れ違い、誤算等の誤びゆうをおかし、そのため不正確な金額を表示する結果になつたのであるから、その記載をそのまま採用して行つた被告の年間売上高の算定は失当であり、乙第一号証の原簿たる甲第一号証の二、第二号証の二によれば、昭和二十四年四月一日から同年十二月三十一日までの眼鏡売上高は金二十三万三千二百四十五円であるから、これを年額に換算した昭和二十四年度の眼鏡売上高は金三十一万九百九十三円が正当であると主張する。

しかしながら、仮に原告の主張のように、乙第一号証の二、三、記載金額が甲第一号証の二、第二号証の二の原簿に基いて算出され、かつ、その金額と右原簿から算出される金との間に金九百六十五円の差額があるとしても、被告は、乙第一号証の二、三の記載金額をもつて昭和二十四年四月一日から同年十二月三十一日までの眼鏡売上高の実額として採用したものではなく、むしろ、証人棒欣一の証言(一、二回)によつて認められる、被告が乙第一号証の二、三の記載金額をその原簿である甲第一号証の二、第二号証の二と照合して検討し、さらに、右記載金額に基いて算出した差益率が、前項の時計及び附属品の場合と異り、近隣同業者に比べて低きに失するおそれがなかつた結果、これを算定の基礎にしたという事実からすれば、被告が右記載金額を前記期間の眼鏡売上高の推計額として採用したものと認めるのを相当とする。そして、前記乙第一号証の二、三によると、被告主張のごとく、同証拠には昭和二十四年四月一日から同年十二月三十一日までの眼鏡売上高として金二十三万四千二百十円の記載があることが認められる。

しかして、甲第一号証の二及び同第二号証の二は、これをもつて売上高の実額を算定する資料となし難いこと、すでに前項「時計及び附属品の売上高」の項において説示したところであり、他に実額算定の資料と認めるに足る証拠のない本件において、被告が前記のように乙第一号証の二、三の記載と近隣同業者との権衡調査の結果に基き、昭和二十四年四月一日より同年十二月三十一日までの眼鏡売上高を金二十三万四千二百十円と推計したことは、相当と認めるのほかはない。また、甲第一号証の二、第二号証の二及び乙第一号証の二、三、は、ともに昭和二十四年一月一日から同年三月三十一日までの記帳を欠いていること前段認定のとおりであるから、被告が原告の同年四月一日から同年十二月三十一日までの眼鏡の売上高を算出し、これを九で除し十二倍してその年間売上高を金三十一万二千二百八十円と算定したことも、合理的であるといわなければならない。

(二)年末たな卸高

被告は、原告の昭和二十四年度における年末たな卸高を、乙第二号証の二に基き、(1) 時計および附属品について金十八万一千百五十六円、(2) 眼鏡につき金十八万三千三百五十五円、(3) 時計修理材料につき金七万一千六百三十六円とそれぞれ算定したことは、その主張によつて明らかである。これに対し、原告は、右乙第二号証の二に記載されている金額は、原告が年末たな卸の結果を記録した原簿(甲第四号証の一、二)に基いて算出した金額であるが、その計算の過程において誤があり、不正確な金額となつたのであるから、被告が右金額をそのまゝ採用して各品目のたな卸高を算定したことは失当であり、右甲第四号証の一、二によつて算出される各金額が正当なたな卸高であると主張する。

証人高橋武蔵、後藤幸雄の各証言を綜合すると、甲第四号証の一、二の帳簿は、原告の使用人高橋武蔵、後藤幸雄等が昭和二十四年十二月三十一日現在の全在庫商品について現実にたな卸をした結果の記録であることが認められ、かつ、右帳簿は、前掲甲第一号証の一ないし四、甲第二号証の一、二の帳簿とは全く別個のものであつて、その性質上後者のように長期間にわたる収支を記帳したものではなく、また、その記載内容についても正確性を疑わせるに足る欠陥のないことが記載自体に照らしてうかがわれるので他にその正確性を否定するに足る証拠のない本件においては、これによつて昭和二十四年度の年末たな卸高の実額を算定すべきであるといわなければならない。しかして、甲第四号証の二によると、昭和二十四年度における(1) 時計及び附属品の年末たな卸高は金二十万八百九十九円、(2) 眼鏡の年末たな卸高は金十八万三千八十五円、(3) 時計修理材料の年末たな卸高は金六万四百円と認めることができる。従つて、被告の前記認定金額の算出される乙第二号証の二は原告主張のような誤びゆうを包蔵しているものというべく仮に右認定金額は乙第二号証の二のみに基くことは、近隣同業者との権衡調査の結果によるものであるとしても、実額を算出し得べき適確な資料の存在する本件においては、とうてい支持され得ないものといわなければならない。

(三)  収入工賃

被告が原告の昭和二十四年四月一日から同年十二月三十一日までの収入工賃を乙第三号証の二によつて金十三万二千七百八十七円と算出し、これを年額に換算して、同年度の収入工賃を金十七万七千四十九円と算定したことは、その主張によつて明らかである。これに対し、原告は、右乙第三号証の二は前掲甲第一号証の二及び第二号証の二に基いて作成されたものであるが、甲第一号証の二及び同第二号証の二の記録自体、昭和二十四年四月一日から同年六月三十日までの収入工賃に関する限り「時計修理」の欄を欠き収入工賃が時計売上高に混入して記帳されている関係で、適確な記載といえないものであるから、この期間の金額を計算に含めたことは失当であつて、同年七月一日から同年十二月三十一日までの収入工賃をもつて計算の基礎とし、これを年額に換算すべきであり、かくして算出される年間工賃は金十八万三千九百十円であると主張する。

しかしながら、証人棒欣一の証言(一、二回)によれば、被告が昭和二十四年四月一日から同年十二月三十一日までの収入工賃を金十三万二千七百八十七円と算定したのは、単に右第三号証の三の記載のみに基いたのではなく、眼鏡の売上高の項において述べたと同様の方法により、これを推計額として採用したものであることがうかがわれみのである。しかして、甲第一号証の二、及び同第二号証の二の記載が昭和二十四年四月一日から同年六月三十日までの収入工賃に関する適確性を欠き、これをもつて同期間内の工賃収入の実額となし得ないことは原告の自ら認めているところである。のみならず、同年七月一日以降の分についても、さきに、「時計及び附属品の売上高」の項で説示したと同様の理由により、とうていこれをもつて工賃収入の実額を算定する資料となし難い。しかも、原告の主張する金額は、被告の算定金額を上廻つていることは主張自体によつて明らかであり、原告は少くとも被告の算定額の限度において工賃収入高を自認しているのであるから、結局被告が前記のような推計をしたことは相当というべきである。

また、眼鏡売上高の項において説示したと同様の理由により、被告が昭和二十四年四月一日から同年十二月三十一日までの収入工賃を算出し、これを日割計算によつて年額に換算してその年間収入工賃を金十七万七千四十九円と算定したことも、合理的であるといわざるを得ない。

以上の次第であるから、原告の昭和二十四年度における総収入額は、売上高金六十万一千六百十一円(時計及び附属品金二十八万九千三百三十一円、眼鏡金三十一万二千二百八十円)、年末たな卸高金四十四万四千三百八十四円(時計及び附属品金二十万八百九十九円、眼鏡金十八万三千八十五円、時計修理材料金六万四百円)及び収入工賃金十七万七千四十九円の合計額金百二十二万三千四十四円であること算数上明らかである。

必要経費

被告は原告の昭和二十四年度における必要経費を算出するにあたり、必要経費の形態により、(一)年間の商品((1) 時計及び附属品、(2) 眼鏡、(3) 時計修理材料)の仕入高、(二)昭和二十四年一月一日現在の商品((1) 時計及び附属品、(2) 眼鏡、(3) 時計修理材料)の繰越たな卸高及び(三)営業費((1) 家賃、(2) 価格差益金、(3) 店員給料、(4) 広告費、(5) 店員厚生費、(6)光熱費、(7)修繕費、(8)保険料、(9)事務用品費、(10)旅費交通費、(11)通信費、(12)接待費、(13)借入金利子、(14)売出福引費、(15)交際費、(16)雑費、(17)租税公課)の三項目につき、それぞれの金額を算出し、これを合計する方法をとつているので、必要経費算定の当否を検討するには、右各項目別に考察するのを相当とする。

(一)  仕入高

被告は、原告の昭和二十四年度における商品の仕入高を確定するのに、まず、昭和二十四年四月一日から同年十二月三十一日までの全商品の仕入高金二十五万一千三百九十二円を月割計算によつて年額に換算して年間総仕入高金三十三万五千百八十九円を算出した上で、別途に、(2) 眼鏡につきその年間仕入高を金十万四千七百八十一円と算定し、また、(3) 時計修理材料につきその年間仕入高を金二万八千四百一円と算定し、右年間総仕入高より眼鏡及び時計修理材料の年間各仕入高を控除して得た金二十万二千七円をもつて、(1) 時計及び附属品の年間仕入高と確定したことは、その主張によつて明らかである。これに対しし、原告は、昭和二十四年四月一日から同年十二月三十一日までの仕入高は、甲第一号証の三、第二号証の二によつて各品目ごとにその実額を算出できるのであるから、被告の右算定方法は、すでにこの点において失当である。のみならず、前記期間中の商品仕入金額に対し、期首及び期末の各繰越買掛金額並びに同年三月三十一日現在の仕入先前渡金を加算または控除していないことも、また妥当でない。前掲甲第一号証の三、第二号証の二によつて算出される前記期間内の先入金額に期末の繰越買掛金額と同年三月三十一日現在の仕入仕渡金を加算し、期首の繰越買掛金額を控除し、かくして得た金額を月割計算によつて年額に換算する方法によつて算出される(1) 時計及び附属品の年間仕入高は金二十万八千三百五十一円、(2) 眼鏡の年間仕入高は金十三万一千百二十二円、(3) 時計修理材料の年間仕入高は金三万一千百七十八円であると主張する。

そこで、まず、被告が時計及び附属品の年間仕入高を確定するためにとつた算出方法の当否について考察するのに、成立に争のない乙第一号証の二、三の記載によると、各品目別の商品仕入高の記載がないから、これによつて仕入高の実額を算定することはできない。もつとも、原告の援用する甲第一号証の三、第二号証の二によると、前記期間における時計及び附属品の仕入高を一応算出することはできるけれども、右帳簿の記載は、これをもつて実額算定の資料としがたいことは、「時計及び附属品の売上高」の項において説示したと同様の理由により明らかであり(仕入額の算定についても、いわゆる権利確定主義の原則によるべきものと解せられるが、この場合には、代金支払義務の発生時期が問題となるこというまでもない)、また、甲第五号証の一ないし一五一(仕入伝票)も、取引関係のすべてを反映するものでないこと、右帳簿の記載に対照してうかがわれるところである。しかして、他に時計及び附属品の仕入高の実額を算定し得べき資料のない本件においては、前段認定のような算出方法によつてその推計額を求めることは、その結果がいちぢるしく妥当性を欠くことにならない限り、一応やむを得ない措置というべきである。

次に、眼鏡及び時計修理材料の各仕入高算定の当否について検討する。

第一に、眼鏡についてみるに、被告が原告の昭和二十四年度における眼鏡の仕入高を金十万四千七百八十一円と算定したことは、その主張によつて明らかである。ところで、証人棒欣一の証言(三回)によると、被告が前記のような算定をしたのは、係官棒欣一が昭和二十五年四月二十三日頃原告方に調査に行つた際、原告の使用人高橋武蔵から昭和二十四年一月一日から同年十二月三十一日までの間における眼鏡の仕入高を記載した帳簿(この帳簿は、本訴において書証として提出されていない。)を呈示され、同調簿には、年間の眼鏡の仕入高が各仕入先別に記帳されており、その内訳は、米山眼鏡店金九千八百二十五円、谷沢眼鏡店金四千六十五円、川端眼鏡店金九千九百九十円、平林レンズ店金一万四百二十一円、南沢眼鏡店金二千五百二十五円、沢田眼鏡店金二万一千六百五十円、宮尾眼鏡店二万三千百七十一円、地球堂眼鏡店二万三千百三十四円となつていたので、以上金額を合計した金十万四千七百八十一円をもつて、原告の昭和二十四年度における眼鏡の年間仕入高と認定したことによるもので、あることがうかがわれる。

しかして、他に眼鏡の年間仕入高を算出するに足る資料のないことは、前段説示のとおりであるから、被告の右算定は、一応合理性のあるものといわなければならない。なお、期首及び期末の各繰越買掛金額を考慮すべきものとする原告の主張について考えてみるのに、期首及び期末に繰越買掛金額が生じた場合、期首繰越買掛金を控除し、期末繰越買掛金を加算すべきことは、前記権利確定主義によつて一定期間の仕入高を確定するために必要なことは当然であるけれども、前段説示のとおり右各金額を確認するに足る資料のない本件においては、かかる考慮を払うべき余地がないといわざるを得ない。

第二に、時計修理材料についてみるに、被告が原告の昭和二十四年度における時計修理材料についてみるに、被告が原告の昭和二十四年度における時計修理材料の仕入高を乙第四号証に記載された昭和二十四年四月一日から同年十二月三十一日までの仕入高金二万一千三百一円を月割計算によつて年額に換算して得た金二万八千四百一円と算定したことは、その主張によつて明らかである。ところで、証人後藤幸雄の証言によつて真正に成立したものと認められる乙第四号証(なお、同一内容の記載は、成立に争のない乙第一号証の二、三にもある。)によつて、昭和二十四年四月一日から同年十二月三十一日までの時計修理材料の仕入高の記載金額を集計すれば、金二万一千三百一円となることが認められ、右金額を月割計算によつて年額に換算すると金二万八千四百一円となることは算数上明らかである。しかして、他に時計修理材料の年間仕入高を算出するに足る資料のないことは、本項冒頭において説示したとおりであるから、被告の右算定は、一応是認すべきものというべきである。なお、この点につき、被告が期末の繰越買掛金の考慮を払わなかつたことが、必ずしも失当といえないことは、眼鏡の仕入高の項について説明したところによつて明らかである。

さらに、時計及び附属品の仕入高算定額の点について判断する。

成立に争のない乙第一号証の二、三によれば、昭和二十四年四月一日から同年十二月三十一日までの全商品の仕入高は金二十五万一千三百九十二円となるから、右金額を基礎にこれを年額に換算すると、年間総仕入高は、金三十三万五千百八十九円となる。

しかして、眼鏡だけの年間仕入高が金十万四千七百八十一円であり、時計修理材料だけの年間仕入高が金二万八千四百一円であることは、前段認定のとおりであるから、時計及び附属品の年間仕入高は、前記全商品の年間総仕入高金三十三万五千百八十九円から右眼鏡及び時計修理材料の各年間仕入高を控除したものであつてこれが金二十万二千七円となること算数上明らかである。しかして、右算定額は、眼鏡及び時計修理材料の仕入高との割合からみて、一応妥当なものと思われるので、被告がこれを時計及び附属品の年間仕入推計額として採用したことは、是認し得るというべきである。なお、原告は、期首において取引先に対し先渡金がある場合には、これを仕入高に加算すべき旨主張するけれども、前渡金は、これに見合う現実の仕入のない限り、仕入高に算入できない性質の支出であるから、原告の右主張は採用するに由ないものである。

(二)  繰越たな卸高

被告は、原告の昭和二十四年四月一日現在における商品たな卸高を算定するにあたり、次に述べるように、各品目ごと北それぞれ別途の算出方法をとつており、その結果たな卸高算定に関する争点も各品目によつて異つているので、以下、時計及び附属品、眼鏡、時計修理材料に分けて、その算定の当否を検討することとする。

(1)  時計及び附属品

時計及び附属品の繰越たな卸高については、被告は、まず、甲第三号証の記載によつて昭和二十四年四月一日現在の正札価格(販売価格)によるたな卸高金二十八万三千九百二十七円を算出し、次にこれを仕入価格(原価)によるたな卸金額に換算するために六割を乗じて金十七万三百五十六円を求め、右金額をもつて昭和二十四年一月一日現在の繰越たな卸高と推定したことは、その主張によつて明らかである。これに対し、原告は、甲第三号証によつて算出される金額を争い、また、これを仕入価格に換算するための換算率は三分の二を相当とすると主張する。

そこで、まず甲第三号証によつて算出される金額を検討するに成立に争のない甲第三号証によると、その記載は雑然として、記載自体のうちに算数上の誤謬がみとめられるけれども、これを仔細に検すれば、小物時計金七万四千二百円、掛時計金三万九千七百円、置時計金六万一千百四十円、附属品金五万一千二百円、時計側金六万三百四十七円の各集計金額を算出することができるので、右金額を合計すると金二十八万六千五百八十七円になること算数上明らかである。従つて、被告がこれを金二十八万三千九百二十七円と算定したのは誤算によるものであつて、正当ということができない。

次に、正札価格によるたな卸高を、仕入価格によるたな卸高に換算するための換算率の点について判断するのに、被告が右換算率を六割と推定したのは、時計及び附属品の昭和二十四年四月一日現在の差益率(正札価格から仕入原価を控除したものと仕入価格との比率であつて、正札価格に対する割合ではない。)が六割五分であるからこれを正札価格に対する割合に換算すると、約四割の差益率となるので、正札価格によるたな卸高から四割の差益高を差引くため、十割より四割を控除すれば六割となるというにあることは、その主張によつて明らかである。

しかしながら、被告が右六割の算出の前提とする時計及び附属品の昭和二十四年四月一日現在の差益率が六割五分であるとの点の認めがたいこと、及び右差益率を四割五分五厘と認めるのを相当とすることは、さきに「時計及び附属品の売上高」の項において説示したとおりであるから、被告の右算定は結局失当というべきである。そこで、右昭和二十四年四月一日現在の差益率を四割五分五厘として、被告の計算方法によつて正札価格によるたな卸高を仕入価格によるたな卸高に換算する割合を計算してみるに、仮に仕入価格を一とすると、差益率(前記のごとく、仕入価格に対する割合である。)が四割五分五厘であるから、正札価格は十四割五分五厘となる。従つて、正札価格十四割五分五厘に対する差益率が四割五分ということになるから、右差益率を正札価格に対する割合に換算するために、四割五分を十四割五分五厘で除すると三割一分が算出され、これが正札価格に対する差益の率となるのである。しかして、正札価格によるたな卸高を仕入価格によるたな卸高に換算するためには、前記正札価格に対する差益率三割一分にあたる差益高を控除する必要があるので、結局十割より右三割一分を控除して得た六割九分が右の妥当な換算率であるというべきである。原告は、右換算率を三分の二と主張するけれども、その根拠が明らかでないから、これを採用することができない。

以上のとおりであるから、昭和二十四年四月一日現在の時計及び附属品のたな卸高は、前記金二十八万六千五百八十七円に対し六割九分を乗じて得た金十九万七千七百四十五円であるというべきである。なお、昭和二十四年一月一日現在における繰越たな卸を算定すべき適確な資料がなく、かつ、同日現在と同年四月一日現在との間に商況の著しい変化を認めるに足る証拠のない本件において、被告が同年四月一日現在の繰越たな卸高をもつて、同年一月一日現在の繰越たな卸高と推認する方法をとつたことは合理性を欠くものとはいゝがたい。

よつて、原告の昭和二十四年四月一日現在における時計及び附属品の繰越たな卸高は、同年四月一日現在における繰越たな卸高金二十八万六千五百八十七円に六割九分を乗じて得た金十九万七千七百四十五円と認めるのを相当とする。

(2)  眼鏡

眼鏡の繰越たな卸高については、被告は、まず、甲第三号証のたな卸表によつて昭和二十四年四月一日現在の仕入価格による繰越たな卸高金二十一万五千五百七十円を算出し、次に、右たな卸高は、同年十二月三十一日現在のたな卸高に比較して二割の評価高になつているとみて、右金二十一万五千五百七十円に八割を乗じ、かくして得た金十七万二千四百五十六円をもつて、昭和二十四年一月一日現在の繰越たな卸高と推定したことは、その主張によつて明らかである。これに対し、原告は、昭和二十四年一月一日現在と同年十二月三十一日現在とで、そのたな卸高に約二割の評価高をみることは失当であると争う。

よつて考察するのに、被告が右二割の評価高を認定した根拠は、昭和二十四年四月一日現在と同年十二月三十一日現在とでは、正札価格において約二割の値下りがあつたという原告の申立をそのまま採用したことにあるのであるが、右原告の申出が前記二割の評価高を認定する根拠にならないことは、さきに「時計及び附属品の売上高」の項において説示したところと同様の理由によつて明らかであるから、被告の右認定は相当ではない。そればかりでなく、眼鏡の繰越たな卸は、時計及び附属品の繰越たな卸が正札価格によつてなされたのと越を異にし、すべて仕入価格によつてなされているのであるが、仕入価格については昭和二十四年四月一日現在と同年十二月三十一日現在とでは、値下りがなかつたことは被告の自ら主張しているところであるから、同年四月一日現在と同年十二月三十一日現在とではたな卸高において二割の評価高を認め前記金二十一万五千五百七十円に八割を乗じた被告の算定方法は失当というべきである。

なお、昭和二十四年四月一日現在の繰越たな卸高をもつて同年一月一日現在の繰越たな卸高とみなすことの許されるのは、すでに、時計及び附属品の繰越たな卸高について説示したとおりである。

よつて、原告の昭和二十四年一月一日現在における眼鏡の繰越たな卸高は金二十一万五千五百七十円と認めるのを相当とする。

(3)時計修理材料

時計修理材料の繰越たな卸高については、原告からその算定資料の提出がなかつたので、被告は、原告の年間の材料使用高金四万四千二百六十二円(すなわち、年間の収入工賃金十七万七千四十九円に対し二割五分を乗じた金額。)に、年末たな卸高金七万一千六百三十六円を加算し、かくして得た金額から年間の時計修理材料仕入高金二万八千四百一円を差引いて金八万七千四百九十七円と算出したことは、その主張によつて明らかである。これに対し、原告は甲第三号証の記載によつて昭和二十四年四月一日現在の繰越たな卸高を算出し、これをもつて同年一月一日現在の繰越たな卸高となすべきであると主張する。なるほど、成立に争のない甲第三号証によれば、その四枚目裏に、原告の主張に附合する金額の記載があることが認められるけれども原告本人訊問の結果(二回)によると、右記載中、修理材料(時計、ゼンマイ、ネジ、等の小物)については在庫商品の正確な確認に基いて算定したものではなく、おゝよその見当で金一万円と計上したのに過ぎないこと等の事実が認められるから、右甲第三号証の記載をもつて、時計修理材料の繰越たな卸高の実績とみることはできない。また、他に実額を認めるに足る資料のない本件において、被告が前段認定のような推計による算出方法を採用したことは、これを失当として、たゞちに排斥できないものと解すべきである。なお、右年間の材料使用高を算定するのに、収入工賃に二割五分を乗じた点についても、証人棒欣一の証言(一、二回)によると、右二割五分という割合は、原告が仕入価格金五円の時計用ガラスの入替をするのに金二十円の工賃をとつていること、その他諸般の事情を考慮して算出したことが認められるから、厳密にいえばなお不正確のそしりは免れないとしても、推計としては一応合理性があるものと認められる。

そこで、右算出方法によつて、昭和二十四年一月一日現在における時計修理材料の繰越たな卸高を計算するのに、収入工賃が金十七万七千四十九月、時計修理材料の年末たな卸高が金六万四百円、時計修理材料仕入高が金二万八千四百一円であることは、すでに認定したところであるから、右金額を基礎として計算すれば、金七万六千二百六十一円となること算数上明らかであつて、右金額をもつて昭和二十四年四月一日現在における時計修理材料の繰越たな卸高と認めるのを相当とする。被告の算定金額は、その算定の基礎になる時計修理材料の年末たな卸高がききに認定したとおり金六万四百円であるのにかゝわらず、これを金七万一千六百三十六円と誤認したことによるものであつて、もとより妥当でないというべきである。

(三)  営業費

原告の昭和二十四年度における前掲各種営業費のうち、(2) の価格差益金が金七百五十円、(7) の修繕費が金三千三百十円、(8) の保険料が金千二百六十九円、(9) の事務用品費が金千七百三十二円、(11)の通信費が金一万六百三十一円であることは、当事者間に争がない。以下、その他の争のある費目について、順次検討することとする。

(1)  家賃

家賃について、被告が乙第三号証の三によつて年間支出額金三千六百円を算出し、そのうち五割を営業費たる家賃と認めたことは、その主張によつて明らかである。これに対し、原告は、一箇月金四百円の割合による賃料年額金四千八百円のうち四分の三の金三千六百円と、原告と家屋の賃貸人細谷清作との特約により、原告が右賃料に附加して負担すべき地租、家屋税及び附加税の年額金二千四十円のうち五割の金千二十円を月割計算によつて年間に換算した金千三百六十円の合計金四千九百六十円をもつて年間家賃となすべきであると抗争する。

そこで、まず、原告が家屋につき支出した金額について検討するのに、成立に争のない乙第三号証の三の記載によつて家賃として記載された金額を集計すると、被告の算定した金三千六百円が一応算出される。しかしながら、原告本人の供述(一、二回)並びに同供述により真正に成立したと認められる甲第十二号証の二八ないし三一によると、右家屋の賃料は一箇月金四百円であつて、原告は賃料として昭和二十四年度中に金四千八百円の支出をしたこと、原告は、右賃料に附加し、家屋使用の対価として地租、家屋税及び附加税を賃貸人たる細谷清作のために代納すべき旨の特約があり、右特約に基き、原告が昭和二十四年度において支出した金額は、同年四月十四日金九百三十三円、六月十三日金五百十円、七月八日金五百八十七円合計金二千三十円であること(原告は、右金額が昭和二十四年四月一日から同年十二月三十一日までの支出額であるから、これを月割計算によつて年額に換算すべき旨主張するけれども、前記金額のほかに同年一月一日から同年三月三十一日までの間に支払があつたことをうかがうに足る資料はないから、これを採用しない)、及び原告は、被告に提出した前掲乙第三号証には、家賃のうち前記賃料として支出した金四千八百円の三分の二を営業費と認めて記載したにすぎないことが認められる。従つて、原告が昭和二十四年度において家屋につき支出した金額は、右金四千八百円と金二千三十円の合計額であつて、被告の認定した前記金三千六百円はその一部にすぎないものというべきである。

次に、右支出金のうち営業費として計上できる金額について考察するに、原告が使用している家屋は、建坪二十七坪、ほか二階十二坪四合四勺で、そのうち直接営業用に供している部分は、階下店舗及び茶の間十一坪(なお、二階六坪八合の部分は、営業に従事する使用人の居室に使用している。)であることが認められる。従つて、前記支出金のうち五割に相当する部分を営業費と認めるのを相当とする。この点に関する原告の主張は過大に失し採用できない。

よつて、原告の昭和二十四年度における家賃で営業費と認められる金額は、前記金四千八百円と金二千三十円の合計額金六千八百三十円に五割を乗じて得た金三千四百十五円であるというべきである。

(3)  店員給料

店員給料につき、被告が乙第五号証(昭和二十四年度源泉徴収票 合計表)に基き、これを金十万九千三百八十六円と算定したことは、その主張によつて明らかである。これに対し、原告は、昭和二十四年四月一日から同年十二月三十一日までに支出した実額金八万七千三百七十六円を月割計算によつて年額に換算した金十一万六千五百円が正当であると主張する。

成立に争のない乙第五号証によると、昭和二十四年度において原告が使用人高島忠一ほか二名に対し給料支払つた合計金額は十万九千三百八十六円であることを認めることができるので、被告が右金額をもつて原告昭和二十四年度における店員給料と算定したことは相当である。原告の援用する甲第一号証の四、第二号証の二はさきに「時計及び附属品の売上高」の項において説示したと同様の理由により実額計算の資料となしがたいから、これをもつて前記算定を左右しうるものではない。

(4)  広告費

広告費について、被告は乙第三号証によつて昭和二十四年四月一日から同年十二月三十一日までの支出金七千三十四円を算出し、これを月割計算によつて年額に換算して金九千三百七十八円と算定したことは、その主張によつて明らかである。これに対し、原告は、年間広告費は金一万二千三百三十三円が正当であると主張するけれども、原告の援用する甲第一号証の四、第二号証の二が右期間に支出された実額を算定する資料となすに由ないことは、すでに前項において説示したとおりである。ところで、成立に争のない乙第三号証の三により、昭和二十四年四月一日から同年十二月三十一日までに広告費として支出されたものと思われる金額を集計すると、一応被告の認定した金七千三十四円を算出することができる。もつとも、同号証の記載が簡略に失しているため、右算出金額の正確性は必ずしも保証し得ないであろうが、他に広告費を算出し得る適確な証拠のない本件においては、仮に右算出金額に多少の誤差があるとしても、これをもつて被告の認定を覆えすことはできないものというべきである。よつて、右算出金額を月割計算によつて年額に換算して得た金九千三百七十八円が原告の昭和二十四年度における広告費であると認めた被告の認定は、是認さるべきである。

(5)店員厚生費

原告は、昭和二十四年度において、店員厚生費として、金五千五百三円を支出しているのに、被告がこれを必要経費に加算しなかつたことは失当である、と主張する。しかしながら原告の援用する甲第一号証の四、第二号証の二、乙第三号証の三及び原告本人訊問の結果(二回)によるも、原告主張の合計金五千五百三円の支出が果して店員厚生費として費消されたものであるかどうか確認しがたく、また他にこれを認めるに足る資料がない。従つて、被告が右支出金を店員厚生費として必要経費に加算しなかつたことをあえて違法として攻撃することは許されないというべきである。

(6)光熱費

光熱費について、被告は乙第三号証の三により、(イ)昭和二十四年四月一日から同年十二月三十一日までの電灯料金千八百十四円を算出し、これを月割計算によつて年額に換算して得た金二千四百十八円のうちその五割である金千二百九円を営業費と認め、(ロ)木炭の年間購入代金千五十円を算出し、そのうち三分の二にあたる金七百円を営業費と認め、以上(イ)と(ロ)の各金額を合計して得た金千九百九円をもつて年間光熱費としたことは、その主張によつて明らかである。これに対し、原告は、(イ)昭和二十四年四月一日から同年十二月三十一日までに支払つた電灯料は金二千五百七十八円であり、そのうち金千八百十四円を営業費として計上すべきであり、また(ロ)木炭及び石炭の購入代金は金千百五十円であるから、以上(イ)(ロ)の合計金額金二千九百六十四円を月割計算によつて年額に換算すると、結局年間光熱費は金三千九百五十二円であると主張する。

そこで、まず電灯料の支出額について検討するに、成立に争のない乙第三号証の三の記載によつて電灯料として支出された金額を集計すると、昭和二十四年四月一日から同年十二月三十一日までの支出額が金千八百十四円となることは一応認められるけれども、右金額は、原告の主張に照らして明らかなように、原告が甲第一号証の四、第二号証の二の帳簿によつて算出した右期間の電灯料支出額のうち三分の二を営業費として記載したもので、支出額の三分の二の金額にあたるものと認められるから、右金額を営業費及び家事費を含めた全支出額と誤認した被告の認定は相当ではない。そして、成立に争のない甲第十二号証の八によると原告が昭和二十四年一月一日から同年十二月三十一日までの電灯料として支出した金額の実額は金三千五百十四円と認めることができ、他にこれを覆えすに足る証拠はない。

次に、右電灯料として支出された金額のうち、営業費として認めるべき割合について検討するのに、原告本人訊問の結果(二回)によれば、原告方においては、電灯の全口数十一個のうち、営業用に八個を使用し、かつ店舗において眼鏡加工用電動機を使用していることが認められるので、この事実と時計及び眼鏡類の修理販売という原告の業態からして昼間でも電灯を使用すること等の諸事情を考え合わすと、他に特別の事情のない限り電灯料の営業費部分を五割と認めた被告の認定よりも、むしろこれを三分の二とする原告の主張が合理性があるものと認められる。従つて、昭和二十四年度における電灯料支出額のうち営業費として認められる金額は前記金三千五百十四円に三分の二を乗じた金二千三百四十二円である。

次に、木炭代金支払額について考察すると、成立に争のない乙第三号証の三によれば昭和二十四年度における木炭代金支払額は金千五十円と認めることができ、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。そして、被告は、右金額中、その三分の二だけを営業費と認めたけれども、その根拠とするところが明らかでないばかりでなく、前記乙第三号証の三の記載に徴すれば、右金千五十円は十一月分及び十二月分の熱料費として支出された金額であることを認めるに足りるから、他に特別の事由の認められない本件において、右金額に三分の二を乗ずべきものとする合理的根拠はない。また、原告は、昭和二十四年四月一日から同年十二月三十一日までの支出額を月割計算によつて年額に換算すべき旨主張するけれども、燃料費の性質からみてこれを年額に換算することは相当と認めがたい。

よつて、原告の昭和二十四年度における燃料費は、電灯料金二千三百四十二円に、木炭代金千五十円を加算した金三千三百九十二円と認めるのを相当とする。

(10) 旅費交通費

旅費交通費については、被告が乙第三号証の三によつて昭和二十四年四月一日から同年十二月三十一日までの支出金二千七百円を算出し、これを月割計算によつて年額に換算して金三千六百円と算定したことは、その主張によつて明らかである、これに対し、原告は、右期間における旅費交通費の支出額は金四千五百七十円であり、従つて、その年額は右金額を換算して得た金六千九十三円が正当であると主張するけれども、原告の援用する甲第一号証の四、第三号証の二は、「時計及び附属品の売上高」の項において説示したと同様の理由により実額算定の資料となし難い。

ところで、成立に争のない乙第三号証の三により、昭和二十四年四月一日から同年十二月三十一日までの旅費交通費として支出されたものと思われる金額を拾い上げて集計すると、一応被告の認定した金二千七百円を算出することができる、もつとも、同号証の記載が簡略に失しているため、右算出金額の正確性は必ずしも保障し得ないであらうが、他に旅費交通費を算出し得る適確な証拠のない本件においては、仮に右算出金額に多少の誤差があるとしても、これをもつて被告の認定を覆えすことはできないものというべきである。よつて、右算出金額を月割計算によつて年額に換算して得た金三千六百円が原告の昭和二十四年における旅費交通費であると認めた被告の認定は、是認さるべきである。

(12) 接待費

接待費について、被告が乙第三号証の三によつて算出される昭和二十四年四月一日から同年十二月三十一日までの支出金二千七百九十六円を月割計算によつて年額に換算して年間支出金三千七百二十八円を算出し、そのうち五割にあたる金千八百六十四円をもつて営業費と認定したことは、その主張によつて明らかである。これに対し、原告は、甲第一号証の四、第二号証の二を援用して、右期間の支出額は金千九百二十円であり、また、その年額金二千五百六十円がすべて営業費であると主張する。

成立に争のない乙第三号証の三によれば、その記載が簡略に失しているため、必ずしもその正確性を保障し得ないけれども一応昭和二十四年四月一日から同年十二月三十一日までに支出した接待費として、被告の認定金額を算出することができる。しかして、右算出金額に多少の誤差があるとしても、これを基礎にして割り出される年額金三千七百二十八円をもつて年間総支出額と認めた被告の認定が是認さるべきことは、前項において説示したところと全く同様である。

次に、右年間総支出額のうち営業のために支出した必要経費として計上できる金額について考察するのに、前掲乙第三号証の三及び証人捧欣一の証言(一、二回)によると、右金額の中営業費として費消されたものと家事費として費消されたものとの区別が必ずしも明確でないため、被告は右乙第三号証の記載を検討し、かつ、原告の業態をも勘案して、その中五割だけを営業費として認めたことがうかがわれる。従つて、他に営業費と家事費とを明確に区別し得べき資料のない本件においては、被告の右認定は是認さるべきものといわなければならない。

よつて、原告の昭和二十四年度における接待費のうち営業費と認められるものは、前記金三千七百二十八円に五割を乗じて得た金千八百六十四円であるというべきである。

(13) 借入金利子

借入金利子について、被告は近隣同業者との権衡調査、原告の営業状態等を勘案して年額金六千円と算定したことは、その主張によつて明らかである。これに対して、金一万一千五百三十五円が正当であると主張する。

よつて、検討するに、原告の援用する甲第一号証の四、第二号証の二が原告の昭和二十四年度における借入金利子の支出額算定の資料としがたいことは、「時計及び附属品の売上高」の項において説示したところと同様である。しかしながら原告本人訊問の結果(一、二回)及びこれにより真正に成立したと認められる甲第十二号証の一八、一九、二〇、二四によると、原告が同年度中において、株式会社第四銀行新井支店に対し金三千二百四十九円、同行高田支店に対し金千六百十六円、高田市信用金庫に対し金千九十八円、西頸城郡名立町塚田某に対し金二千二百五十円、以上合計金八千二百十三円の利息の支払または支払債務の負担をしたことを確認するに足りるのであるから、原告の同年度における借入金利子は少くとも右金八千二百十三円を下らないものと認められ、かつ、反証のない本件においては、右認定の利子を生じた借入金はすべて営業用に支出されたものと認めるのが相当である。

しかるに、被告は、原告の昭和二十四年度における営業費としての借入金利子を確認するに足る資料はないものとして、前記のごとき推計をしたことは、失当といわざるを得ない。よつて、原告の同年度における借入金利子として、金八千二百十三円を計上するのが相当と認められる。

(14) 売出福引費

売出福引費について、被告は、乙第三号証の三によつて昭和二十四年四月一日以降の支出金千三百五十六円を算出し、また、推計によつて同年一月中に支出された売出福引費として金二百円を算出し、以上合計金千五百五十六円をもつて原告の年間売出福引費と認めたことは、その主張によつて明らかである。これに対し、原告は、昭和二十四年四月一日から同年十二月三十一日までの支出額は金千五百五十六円であり、また、年間支出額は右金千五百五十六円を月割計算によつて年額に換算して算出すべきであつて、その金額は金二千七十五円であると主張する。まず、昭和二十四年四月一日以降の売出福引費について検討するのに、成立に争のない乙第三号証の三、原告本人の供述(一回)及び同供述によつて真正に成立したものと認められる甲第十二号証の二五、二六を綜合すると、売出福引費として八月九日金七百五十六円、十一月五日金二百円、十二月中金六百円、以上合計千五百五十六円(原告主張額)の支出があつたことが認められ、他に右認定を覆えすに足る資料はない。被告は、右十一月五日の金二百円の支出額を見落しているために、被告の前記算定は、その限度において失当である。

次に、昭和二十四年三月三十一日以前の売出福引費について検討するのに、証人捧欣一の証言(一、二回)によると、被告は、当地の商慣行からみて昭和二十四年一月中に一回売出があつたものと推定して、その福引費を同年四月一日以降における前記福引費に勘案して金二百円と推計したことを認めることができる。しかして、他に右期間の売出福引費の実額を確認するに足る資料のない本件において、被告が右のような推計をしたことは是認さるべきである。この点につき、原告は前記四月一日以降の支出金合計を月割計算によつて年額支出金を算出すべきであると主張するけれども、売出福引費の性格からみて、かような算定方法をとることは相当ではない。

よつて、原告の昭和二十四年度における売出福引費は、前記金千五百五十六円と右金二百円を合計して得た金千七百五十六円と認めるのを相当とする。

(16) 交際費

交際費について、被告は乙第三号証の三によつて昭和二十四年四月一日から同年十二月三十一日までの組合費等の支出金合計金二千九百円を算出し、これを月割計算によつて年額に換算して得た金三千八百六十六円であると認定したことは、その主張によつて明らかである。これに対し、原告は、右期間の支出額合計は金四千三百五十円であり、これを年額に換算して得る年間支出額は金五千七百九十九円であると主張する。

しかしながら、原告の援用する甲第一号証の四、第二号証の二が実額算定の資料となし難いことは、すでに広告費の項において説示したとおりである。

ところで、成立に争のない乙第三号証の三により昭和二十四年四月一日から同年十二月三十一日までに交際費として支出されたものと思われる金額を集計すると、一応被告の認定した金二千九百円を算出することができる。もつとも、同号証の記載が簡略に失しているため、右算出額の正確性は必ずしも保障し得ないであらうが、他に交際費を算出し得る適確な証拠のない本件においては、仮に右算出金額に多少の誤差があるとしても、これをもつて被告の認定を覆えすことはできないものというべきである。よつて、右算出額を月割計算によつて年額に換算して得た金三千八百六十六円が原告の昭和二十四年度における交際費であると認めた被告の認定は是認さるべきである。

(17) 雑費

雑費について、被告が乙第三号証の三によつて昭和二十四年四月一日から同年十二月三十一日までの支出金千六百四十七円を算出し、これを月割計算によつて年額に換算して金二千百九十六円を求め、さらに右金額に原告の記帳漏を考慮して金六百三十九円を加算して年間支出額を金二千八百三十五円と認めたことは、その主張によつて明らかである。これに対し、原告は甲第一号証の四、第二号証の二を援用して、右の期間支出額は金四千九百二十二円であり、これを月割計算によつて年額に換算して得た金六千五百六十四円が年額支出額であると主張する。

成立に争のない乙第三号証の三によると、その記載が簡略に失しているため、必ずしもその正確性を保障し難いけれども、昭和二十四年四月一日から同年十二月三十一日までの雑費として一応被告の認定金額を算出することができる。しかして、右算出金額に多少の誤差があるとしても、これを基礎にして年額金二千百九十六円を算出したことが失当といえないことは、前項において説示したところと全く同様である。

なお、被告は、右算出方法によつて割り出された年額支出金のほかに、原告の記帳漏を考慮して金六百三十九円を推計し、両金額合計して得た金二千八百三十五円をもつて原告の年間雑費と認定しているのであるが、右認定の合理性を覆えすに足る適確な証拠はなく、また、少くとも右認定金額の限度における支出のあつたことは原告の自認するところであるから、被告の右認定は、これを支持し得るものというべきである。原告は右認定金額以上に支出があつたように主張するけれども、その証拠として援用する甲第一号証の四、第二号証の二が信用のおけないことは、前段説示によつて明らかであり、他にかかる主張を認めるに足る証拠はない。

以上の次第であるから、昭和二十四年度における原告の必要経費の総額は、仕入高金三十三万五千百八十九円(時計及び附属品金二十万二千七円、眼鏡金十万四千七百八十一円、時計修理材料金二万八千四百一円)、繰越たな卸高金四十八万九千五百七十六円(時計及び附属品金十九万七千七百四十五円、眼鏡金二十一万五千五百七十円、時計修理材料金七万六千二百六十一円)、及び営業費金十九万七千九百十一円(家賃金三千四百十五円、価格差益金七百五十円、店員給料金十万九千三百八十六`円、広告費金九千三百七十八円、光熱費金三千三百九十二円、修繕費金三千三百十円、保険料金千二百六十九円、事務用品費金千七百三十二円、旅費交通費金三千六百円、通信費金一万六百三十一円、接待費金千八百六十四円、借入金利子金八千二百十三円、売出福引費金千七百五十六円、交際費金三千八百六十六円、雑費金二千八百三十五円、租税公課金三万二千五百十四円)の合計額金百二万三千六百七十六円となること算数上明らかである。

従つて、原告の昭和二十四年度における所得金額は、同年度における総収入額金百二十二万三千四十四円より右収入を得るための必要経費の総額金百二万二千六百七十六円を控除して得た金二十万三百六十八円というべきである。

しからば、被告が原告の昭和二十四年度所得の確定申告に対し、これを金二十五万七千円と更正した処分は、右金二十万三百六十八円を超える部分については違法というべきである。

よつて、原告の本訴請求は、被告の本件処分中、所得金額金二十万三百六十八円を超える部分の取消を求める範囲において正当としてこれを認容し、その余の部分は失当としてこれを棄却することゝし、訴訟費用の負担につ民事訴訟法第九十五条、第八十九条、第九十二条本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 渡部吉隆 寺津栄)

別紙〈省略〉

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